2008.12.27 Saturday
七十九番・天皇寺(坂出市西庄町)
今回は八十八番札所のうち、坂出市にある七十九番天皇寺高照院です。
■七十九番「天皇寺」
天皇寺と白峰神社が同じ場所にあり、天皇寺へは赤い鳥居の右手から入ります。
参道を左に行くと本堂、大師堂、鐘楼があります。

(参道です)

(本堂です)

(大師堂です)
■由来
日本武尊(やまとたける)と部下88人が大魚退治に来たとき毒で倒れ、その時、横潮明神が泉の水を持って現れ飲ませたところ回復したことから、「八十場の泉」(やそばのいずみ)といわれるようになったそうです。
その後、この地を訪れた弘法大師が八十場の泉近くで霊感を得て、霊木で十一面観世音菩薩、阿弥陀如来、愛染明王像を刻み安置し、堂宇を建立して金華山・摩尼珠院と名付け、第七十九番札所として定めました。
さらに、保元の乱(1156年)に敗れた崇徳上皇が讃岐国に流され、崩御され、21日間八十場の泉に安置し、白峰山で荼毘にふされ白峰宮を創建しました。その時摩尼珠院を白峰宮に移し、ここを天皇寺としました。
摩尼珠院妙成就寺は、明治初年の神仏分離令によって廃寺となりましたが、末寺の高照院と合併し再興しました。

(白峰神社です)

(神社の中です)
■他には
近くに八十場の泉があり、清水屋のトコロテンが有名です。ちなみに八十八(やそば)と表示してあります。清水屋さんのトコロテンは八十八の湧き水の前で200年の伝統をもち、湧き水で冷やされ、添加物は一切使わず、天草から煮て作る自然食品です。遠方からも沢山の方達が食べに来る。
メニューは普通のトコロテン、黒みつかけ、きな粉かけのみです。
今回は、時間がなく、お店に入れませんでした。
今回は八十八番札所のうち、坂出市にある七十九番天皇寺高照院です。
■七十九番「天皇寺」
天皇寺と白峰神社が同じ場所にあり、天皇寺へは赤い鳥居の右手から入ります。
参道を左に行くと本堂、大師堂、鐘楼があります。

(参道です)

(本堂です)

(大師堂です)
■由来
日本武尊(やまとたける)と部下88人が大魚退治に来たとき毒で倒れ、その時、横潮明神が泉の水を持って現れ飲ませたところ回復したことから、「八十場の泉」(やそばのいずみ)といわれるようになったそうです。
その後、この地を訪れた弘法大師が八十場の泉近くで霊感を得て、霊木で十一面観世音菩薩、阿弥陀如来、愛染明王像を刻み安置し、堂宇を建立して金華山・摩尼珠院と名付け、第七十九番札所として定めました。
さらに、保元の乱(1156年)に敗れた崇徳上皇が讃岐国に流され、崩御され、21日間八十場の泉に安置し、白峰山で荼毘にふされ白峰宮を創建しました。その時摩尼珠院を白峰宮に移し、ここを天皇寺としました。
摩尼珠院妙成就寺は、明治初年の神仏分離令によって廃寺となりましたが、末寺の高照院と合併し再興しました。

(白峰神社です)

(神社の中です)
■他には
近くに八十場の泉があり、清水屋のトコロテンが有名です。ちなみに八十八(やそば)と表示してあります。清水屋さんのトコロテンは八十八の湧き水の前で200年の伝統をもち、湧き水で冷やされ、添加物は一切使わず、天草から煮て作る自然食品です。遠方からも沢山の方達が食べに来る。
メニューは普通のトコロテン、黒みつかけ、きな粉かけのみです。
今回は、時間がなく、お店に入れませんでした。
2008.08.27 Wednesday
今回は八十八番札所のうち、宇多津にある七十八番郷照寺です。
■七十八番「郷照寺」
山門をくぐって、参道をすすみ境内に入ると左に納経所があります。右手に本堂、その奥に大師堂があります。本堂は江戸初期に再興されたそうで、屋根の形は、東大寺など奈良の寺院によく見られる奈良様式のようです。

(山門です。ちょっと上ってます。)
■由来
郷照寺は奈良時代725年(神亀2)に行基菩薩により開かれ、「道場寺」と称していました。
815年(弘仁6)に、弘法大師が訪れ自作の尊像を刻み厄除けの誓願をされ、密教の霊地として栄えたとのことです
そんなこともあり、現在では「厄除うたづ大師」として、厄除けのお寺として有名です。

(本堂です。)

(厄じゃないですか?)
■場所
場所は、高台にあり、旧道から入っていくと結構すぐのところにあります。
宇多津港を見渡す好立地で、瀬戸大橋も見えます。札所で唯一見えると看板にも書いてありました。

(瀬戸大橋、小さすぎてみえませんかね・・・。)

(こんな配置のはずです。)
■他には
地下洞には万体観音があります。
万体というだけあり、3万体あるようです。阿弥陀如来です。
庭園もかなり手入れされていてきれいでした。

(地下洞入り口。)

(圧巻の阿弥陀如来)

(庭園です。)
■七十八番「郷照寺」
山門をくぐって、参道をすすみ境内に入ると左に納経所があります。右手に本堂、その奥に大師堂があります。本堂は江戸初期に再興されたそうで、屋根の形は、東大寺など奈良の寺院によく見られる奈良様式のようです。

(山門です。ちょっと上ってます。)
■由来
郷照寺は奈良時代725年(神亀2)に行基菩薩により開かれ、「道場寺」と称していました。
815年(弘仁6)に、弘法大師が訪れ自作の尊像を刻み厄除けの誓願をされ、密教の霊地として栄えたとのことです
そんなこともあり、現在では「厄除うたづ大師」として、厄除けのお寺として有名です。

(本堂です。)

(厄じゃないですか?)
■場所
場所は、高台にあり、旧道から入っていくと結構すぐのところにあります。
宇多津港を見渡す好立地で、瀬戸大橋も見えます。札所で唯一見えると看板にも書いてありました。

(瀬戸大橋、小さすぎてみえませんかね・・・。)

(こんな配置のはずです。)
■他には
地下洞には万体観音があります。
万体というだけあり、3万体あるようです。阿弥陀如来です。
庭園もかなり手入れされていてきれいでした。

(地下洞入り口。)

(圧巻の阿弥陀如来)

(庭園です。)
2007.12.28 Friday
さて、今回は、久しぶりに四国八十八ヶ所から八十三番『一宮寺』です。
■一宮寺は
ちょっと前に書きました『田村神社』の西隣にあります。
一宮寺は真言宗です。大宝年間(701〜704)僧義淵(ぎえん)の創建と伝えられています。
天平年間(729〜749)行基が入山して堂宇を修築し、大同年間(806〜810)、弘法大師が巡錫の折り、聖観音像を刻んで本尊としたといわれています。

(仁王門です。西にも門があります。話はそれますが、根香寺から 約15km、屋島寺まで約17kmの石碑がありましたが、歩くと遠いでしょうね。)

(左側です)

(右側です。前回の法然寺で仁王像が凄かったので、今回も。)
■本堂
本堂は、1701(元禄14)年、松平家による建立(再建)です。
本堂前の大きな楠の下にはベンチも置かれています。楠の根元には、地獄の釜というのがあって(薬師如来の小さな祠です)、これに頭を突っ込むと、“ごーっ!”という地獄の釜の音が聞こえるといわれています。
でも、心がけの悪い人がやると、石の扉が閉まり、頭が抜けなくなるという言い伝えもあるそうです。
ちなみに、本尊の聖観音像は弘法大師作といわれています。

(これが本堂です。)

(本堂向かって右には太子堂があります。)
■他にも
菩薩堂、鐘楼などもありますが、今回『護摩堂』が建立されたようですので、写真を撮ってきました。
看板を見てみるとやはり、護摩堂とかになると、県外の業者が工事をしているようで、難しい工事なのでしょう。

(奈良の業者とかです。)

(護摩堂です。)
■一宮寺は
ちょっと前に書きました『田村神社』の西隣にあります。
一宮寺は真言宗です。大宝年間(701〜704)僧義淵(ぎえん)の創建と伝えられています。
天平年間(729〜749)行基が入山して堂宇を修築し、大同年間(806〜810)、弘法大師が巡錫の折り、聖観音像を刻んで本尊としたといわれています。

(仁王門です。西にも門があります。話はそれますが、根香寺から 約15km、屋島寺まで約17kmの石碑がありましたが、歩くと遠いでしょうね。)

(左側です)

(右側です。前回の法然寺で仁王像が凄かったので、今回も。)
■本堂
本堂は、1701(元禄14)年、松平家による建立(再建)です。
本堂前の大きな楠の下にはベンチも置かれています。楠の根元には、地獄の釜というのがあって(薬師如来の小さな祠です)、これに頭を突っ込むと、“ごーっ!”という地獄の釜の音が聞こえるといわれています。
でも、心がけの悪い人がやると、石の扉が閉まり、頭が抜けなくなるという言い伝えもあるそうです。
ちなみに、本尊の聖観音像は弘法大師作といわれています。

(これが本堂です。)

(本堂向かって右には太子堂があります。)
■他にも
菩薩堂、鐘楼などもありますが、今回『護摩堂』が建立されたようですので、写真を撮ってきました。
看板を見てみるとやはり、護摩堂とかになると、県外の業者が工事をしているようで、難しい工事なのでしょう。

(奈良の業者とかです。)

(護摩堂です。)
2006.10.29 Sunday
さて、今回は四国八十八ヶ所から八十番国分寺です。
■国分寺とは
国分寺はその名の通り、国分寺町にあったのですが、いまや市町村合併で高松市です。国分寺のあったところに国分寺という市町村があったのは全国で3つだったそうです。
ということで、国分寺は、白牛山(はくぎゅうざん)国分寺です。
国分寺とは奈良時代(741年)、聖武天皇により国ごとに建てられたお寺で、正式名称は「金光明四
天王護国之寺」です。八十八ヶ所の中に、各県にひとつずつ国分寺に相当するお寺があります(名前
は違いますけど・・・)。ちなみに、奈良の東大寺は、全国の国分寺の中心である「総国分寺」だそ
うです。
歴史的には、この場所から出土した瓦の中に奈良中期以前とみられるものがあったことから、聖武天
皇時代より前の寺院を転用して、整備された可能性があるそうです。

(仁王門と灯篭です。お参りの人が多いです。)

(「歴史」が書いてあります)
■参道
高松市の西のほう(旧の高松)の鬼無から、国分寺にかけては日本一の松、盆栽の産地ですからやは
り参道にもかなり立派な松があります。
ちなみに高松の鬼無あたりはちょっと前まで市街化調整区域でしたがこれはこの「日本一」の産業を
保護するためのものと言われていました。

(立派な松)
■本堂
国分寺は律令制度の解体とともに衰退しましたが、鎌倉中期に再興され、鎌倉末期あたりから奈良西
大寺の末寺となり現在の真言律宗の寺となりました。天正年間(1573〜92)に長宗我部氏によ
り現本堂・鐘楼を残して消失したのですが、再興後は生駒氏の厚い帰依を受けたそうです。
本堂に安置されている本尊の木造十一面千手観世音菩薩は藤原中期の作で5.24mと巨大で四国最
大の立像だそうです。ケヤキ一木造ですごいらしいのですが、秘仏のため公開されていません。残念
。

(本堂です)

(別の角度からもう一枚)
■福竜
「福竜」というのがありました。弘法大師が四国に来たときここで、本尊が損傷しているのを見て観
音浄土に祈って、天より授けられた霊木により直した残りの霊木が竜のように見えることから「福竜
」だそうです。

(福竜)
■銅鐘
ちなみに境内奥にある銅鐘は四国最大級で、国の重要文化財に指定されているそうです。なぜ鐘を撞
くのにお金がいるのかな(他のお寺と比べてという意味で)と思ったのですが、そういう理由からだ
そうです。音もすごく良いそうで、定評がある(「三里聞こえて二里うどむ」というそうです。)そ
うです。

(国分寺銅鐘)
■国分寺とは
国分寺はその名の通り、国分寺町にあったのですが、いまや市町村合併で高松市です。国分寺のあったところに国分寺という市町村があったのは全国で3つだったそうです。
ということで、国分寺は、白牛山(はくぎゅうざん)国分寺です。
国分寺とは奈良時代(741年)、聖武天皇により国ごとに建てられたお寺で、正式名称は「金光明四
天王護国之寺」です。八十八ヶ所の中に、各県にひとつずつ国分寺に相当するお寺があります(名前
は違いますけど・・・)。ちなみに、奈良の東大寺は、全国の国分寺の中心である「総国分寺」だそ
うです。
歴史的には、この場所から出土した瓦の中に奈良中期以前とみられるものがあったことから、聖武天
皇時代より前の寺院を転用して、整備された可能性があるそうです。

(仁王門と灯篭です。お参りの人が多いです。)

(「歴史」が書いてあります)
■参道
高松市の西のほう(旧の高松)の鬼無から、国分寺にかけては日本一の松、盆栽の産地ですからやは
り参道にもかなり立派な松があります。
ちなみに高松の鬼無あたりはちょっと前まで市街化調整区域でしたがこれはこの「日本一」の産業を
保護するためのものと言われていました。

(立派な松)
■本堂
国分寺は律令制度の解体とともに衰退しましたが、鎌倉中期に再興され、鎌倉末期あたりから奈良西
大寺の末寺となり現在の真言律宗の寺となりました。天正年間(1573〜92)に長宗我部氏によ
り現本堂・鐘楼を残して消失したのですが、再興後は生駒氏の厚い帰依を受けたそうです。
本堂に安置されている本尊の木造十一面千手観世音菩薩は藤原中期の作で5.24mと巨大で四国最
大の立像だそうです。ケヤキ一木造ですごいらしいのですが、秘仏のため公開されていません。残念
。

(本堂です)

(別の角度からもう一枚)
■福竜
「福竜」というのがありました。弘法大師が四国に来たときここで、本尊が損傷しているのを見て観
音浄土に祈って、天より授けられた霊木により直した残りの霊木が竜のように見えることから「福竜
」だそうです。

(福竜)
■銅鐘
ちなみに境内奥にある銅鐘は四国最大級で、国の重要文化財に指定されているそうです。なぜ鐘を撞
くのにお金がいるのかな(他のお寺と比べてという意味で)と思ったのですが、そういう理由からだ
そうです。音もすごく良いそうで、定評がある(「三里聞こえて二里うどむ」というそうです。)そ
うです。

(国分寺銅鐘)





